カナダ政府
カナダ政府の象徴

Government of Canada

japan.gc.ca

Breadcrumb

  1. トップページ
  2. >
  3. 在日カナダ公館
  4. >
  5. お問い合わせ


在日カナダ大使館小史

カナダと日本の関係が始まったのは、1867年のカナダ連邦の誕生、1868年の明治維新の後、間もなくであった。 関係といっても当時は、2国間貿易と日本からカナダへの移民、そしてカナダから宣教師、教師や医師の来日などに限られていた。 カナダ政府の商務官事務所が初めて横浜に置かれたのが1904年。 これは1923年の関東大震災の後、神戸に移された。 1928年、カナダ政府は、英国(ロンドン)、米国(ワシントン)、フランス(パリ)に次いで、オタワと東京との間に全面的な外交関係を樹立することを決定した。

マッケンジー・キング 首相は、初代の駐日外交代表に ハーバート・マーラー氏(後にサーの称号を受けた)を任命、マーラーは1929年9月、まだ若き裕仁天皇に信任状を奉呈した。

マーラーは、公使としての職務を熱意と不屈の精神をもって遂行していった。 そして公使館施設の設置が急務の一つであった。 しかしカナダは当時、世界恐慌による不況の真っ只中にあり、政府は彼が当初考えた規模の建設プロジェクトの実施をためらった。 1932年、政府は、20万ドルを超えない範囲で土地を購入して公使館及び公使公邸を建設し、資金は自分が立て替えて10年間で返済を受けるというマーラーの提案を承認した。 マーラーは結局、少なくとも2万5千ドルの自己負担を行っている。

マーラーは、東京・赤坂にある青山忠俊子爵の所有地を42万5千円(20万549ドル)という低い価格で購入した。 安く買えたのは、そこに幽霊がでるという噂が当時あったからだという人もいる。 それよりも、損をしても民間業者より外国政府に売る方を青山家が選んだ、という方が事実だろう。

フランク・ロイド・ライトの弟子、 アントニン・レインドが建設の総指揮を担当したが、マーラー自身もこのプロジェクトのあらゆる面を監督した。 1933年11月2日に公使邸(彼を記念して現在マーラー・ハウスと呼ばれている)が、11月4日に公使館が完成して、彼の手に引き渡されたとき、マーラーは大いに誇りを感じたのである。

1941年、太平洋戦争が勃発、2国間関係は断絶した。 しかし1946年には、カナダ代表部が再開され、1952年には完全な外交関係が復活した。 1953年になって公使館用地の拡張買収を行い、敷地総面積は4.3エーカーになった。 庁舎は1955年に2倍に拡張され、1966年には別館が建てられた。

1970年代に、日加関係の拡大・多様化に伴って、カナダ大使館の任務も増え、大使館は急速に拡大した。 館員も増えて既存の施設が手ぜまになり、いくつかの部署は外部にオフィスを置かざるをえなくなった。 カナダ政府は以前から大使館新庁舎の必要性を認めていたが、1984年、東京・赤坂の施設・敷地の再開発に着手することを決定したのだった。

 

 

Footer

更新日:
2010-05-12